ノースランドラリーって知ってますか?・・・
同年代のバイク乗りなら知っている人は多いでしょう。いま、こんなのを書くのは、ある人から、これについての話があったからです。
ちょっと長々と書いてみたいと思います。
いつから、いつまでやってたかってのはハッキリ知らないんですが、どうも81年が第1回のようでした。冒険家の風間深志さんが呼びかけて(呼びかけは違うのかも・・)夏の北海道でバイク仲間を集めるイベントだったです。そこで何をやってたか、あんまり記憶ないんですが、キャンプファイヤをやったりするようなものだったと記憶しています。
おそらく、1985年と86年、そしておそらく87年(これは怪しい)、そこであったであろう人の記憶と、自分の記憶がいまひとつ交錯しており、ハッキリしない。当時はデジカメもないし、カメラも持っていなかった、メモをとって記録していた人もよく見かけたが私はそんなことは全くしなかったし、それに残したいという欲求もなかった。。写ルンです!も80年代後半でしょう?
バイク雑誌を読んでいたわけでもないが(あー、違うな唯一読んでいたThe Bikeがあった、3ナイ運動真っ盛りの時代に新聞社がバイク雑誌を出していたという例の。あれは文章が多くよかった。ここでオフの記事を書いてた人が後にGarrrrの編集をやったと思う)、月刊オートバイで2行ほどの呼びかけでたくさん集まったみたいなことを書いている人がいた。
他の方の記事(少ないですが)を見ると、飲んで騒いでいた記憶とかが書かれている。しかし私には自分自身の行動にそのような記憶はない。当時は酒も飲んでいなかったし(そんな余裕のあるライダーではなかったし)現地で知り合った人と集まってテントを張って話をしていただけだったと思う。キャンプファイヤのことを書かれている方もいるのだが、私にはそのキャンプファイヤの記憶がない。86年の他の方の写真でも火の周りバイクに乗る人たちの楽しそうな写真がいくつかあるが、全く呼び戻されない。その場にいたとは思うのだが遠くから数人で観てたんだろうな。翌日の朝も、崩れ落ちたキャンプファイヤの周りをウィリーしている人たちの記憶はあり、またある少年がDTで丸太に突っ込む姿も鮮明に覚えている。それと、もう一つプロのライダーがウィリーを披露して、やっぱーすげーと思ったこと。その後、一緒にいた人たちが、「オフのやつはなんかしないと許されないような雰囲気になってきたよ、そろそろ行こう」と言い出して、出発したという記憶も残っている。
85年、86年はHER(北海道エンデューロラリー、その後当麻フォレスト、今はしらん)の第1回と2回に出てからノースランドに行った。レースに出るためモトクロスタイヤを後ろにくくりつけて、自走して行った。第1回のHERではバイクが壊れ、地元の役場の方が手伝いにこられていて修理に出すのに手配してくれたりした。名前を忘れてしまった。若い人だった、友人と手伝いしていて、その友人がその人のこと、「みえはる」と言っていたので、「みえはる」という名前だと思っていた。学生時代はテレビもラジオも持っておらず新聞も読んでいなかったため、世間から隔離した生活を送っていた。だから何も知らなかった。もっとも中学高校時代は自宅にテレビはあったが、親はNHKのニュース程度しか見せなかったため、芸能的なものの知識は皆無であった。そして、何かあったら電話してと言われていた人に、公衆電話から電話をした時に「みえはるさんはいらっしゃいますか」と言い、それを聞いた妹さんが、「それお兄ちゃんの友達が冗談で言ったことでしょ!ひどい!」と言って電話を切られてしまったことを思い出す。HERの運営をやらていた、旭川のアウトドアショップGIさんに教えてもらったノースランドラリーにもいったというわけだが、この85年の記憶はないな。行ったというのは記憶違いで行っていなかったということもあり得る。もう何も思い出せないしそれを見つける手段もない。
86年のノースランドラリーは第2回のHERの後に行ったが、そのGIさんが早めに現地に来たら風間さん達と林道ツーリングに行けるよと教えてもらい、早めに行ったんだ。そしたら、宇崎竜童さんもこられていて(当時バイクグループかなんかやってたんじゃない?)DTかITに乗ってた、いや違うなRHだったかな、スズキの。あのときは、HERに出ていた数名(四国の人が多かったな)とずっと一緒だったので、林道三昧ではあった。そして、十勝三股から岩間温泉を目指したんだな、バイクじゃない人やオンの人はGIさんが乗ってきた米軍払い下げのジープに乗り込んで、向かったんだ。温泉にはついたけど、台風だったか大雨だったかで湯が流されていて、ちっちゃかった。僕らは入んなかったけど風間さん達は脱いでたようだった。アブがたくさんいた、あの日は確か晴天で暑かった。風間さんが叫んだ「アブがあぶない」、その前後の記憶が鮮明だ。帰りの林道ではオーバスピードで転倒したんだが、みつまた山荘でお茶をしていたら、ぼくの転倒に対して、札幌かどっかでバイク屋をやっているとかいう人(その界隈では有名な人だったらしいのだけれど)が「あんな何もないところでなんで転倒するんだ?」みたいなこと言ってきて、みんなでしょんぼりしているところに風間さんが、「楽しけりゃいいじゃねーか」みたいな言葉をかけていただいたのだ、この前後も鮮明に覚えている。
その風間さんの記憶といえば、第1回のHERだ。HERでは風間さんはゲストでレースには参加していなかったのが、最終周回で出たんだな。その時風間さんの横をトップだったトシ西山氏が無理に追い抜いたってことで。風間さんがえらく抗議してたのを、近くで聞いていた。あそびなんだけど、本当に真剣なんだ、とその時思った。俺はあのレースで初めてハスクとKTMを見たんだ、当時はハスクは白と黄色、いやチェーンソーの音がしたな。KTMは白と緑だったかな。トシ西山さんは、HERの前日に俺がタイヤ交換をしている時に車で来て、そうスーツ姿であった。すげ〜と思ったわけ、俺がタイヤ交換していると、きさくに声をかけてきて、「おー、レース前にパンクなの?」ちょっとそのあと話したな。
そこ(当麻キャンプ場)であった人で、覚えているのは、現在セキレイ館で宿主をやっているジヘイさん(本名は知らん)。そのあとも何度か会ったな。ジヘイさんは当時からセキレイ館でバイトしてたんだよね。あと、ジヘイさんと一緒にバイトしてた杉田さんという女の子(これは記憶が怪しい、名前も違うかも、でも女の子いてジヘイさんを気遣ってたのを覚えてる)、なんでジヘイさんというかってのもその子に聞いたんだよ、あと、第1回で10位になった三井田さん、XT250でしたね。この人も自走だったけど関東の人で、テントは持たずに寝袋だけで野宿する人で、あまりの凄さに感動した。そしてDo Bike(北海道限定のバイク雑誌)で記事を書いているという亀畑さん。亀畑さんとは第2回でも話をして、いつでも、札幌によったら泊まりに来ていいよ、と言われたんだ。それで、1回、行ったんだよね。行ったのは3人ぐらいだったかな。そしたら、たまたまその日が記事の締め切り日で、記事を待っている編集の人もいて、忙しいのに、スパゲティを作ってもらったんだ。シーチキンを入れただけのだけど、あれはうまかったなぁー、いまでもあの味がわすれなくて、それ作るよ。そのあとどっかに食べに行ってごちそうになった気もするよ、スパゲティーから後の記憶は曖昧、ちょっとわからない。そして本当は忘れてならないのが、86年のHER〜ノースランド〜その後の林道三昧を一緒に過ごした四国の学生さん4名ほどともう一人、なんとかさん(名前は思い出せん、無職だと言ってた)。あんなに長く一緒に過ごして忘れてならないのに、全部忘れちゃった。
でノースランドラリーだけど、いろんな思い出があるけど、一番ショックだったのは、洞爺湖でやったときの、抽選大会。抽選(じゃんけんだったかも)で当たった人はステージでなんか喋って景品をもらうってのだったけど、そのうち一人が、ステージで、「しんちゃんのマネやります」って言って、実際やったの、周囲はブーイングだったけど、俺的にはかなりショックだった。そのできごとで、僕な中でノースランドラリーは終わったんだ。
ここ、最近またノーザンラリーとかもやって、ノースランドラリーも再開するような話もあるようですが、たぶん行かないなぁ。ここ10年ぐらいも人と交わるツーリングはしていないし、その欲求もないな。僕の中で、人と交わって盛り上がってワイワイというスタイルはなもうないな。でも旅に出たい気持ちはいつもあるんだ、ひとりで、孤独にね。
あー、これで書きたいことは全部書いたかな。
おしまい。
そして えふぅさんの記事
コメントありがとうございます。
洞爺湖は85年で、糠平湖が84年?年の記憶は曖昧、抽選で当たった人が自己紹介かなんかするような企画だったのかなぁ。そういえば、RH250に乗ってるとかの女の子が台上に上がって「ちょっとピーキーなバイクなんですけど・・」などと言ったときにえらく盛り上がってたのを思い出しました。私、洞爺湖はそれ以外の記憶ってあんまりないんですよね。もしかしたら、雰囲気に負けて別の場所に行ってキャンプしたのかも。でも、いろいろ楽しかったですね。それにしても11月までおられたのってすごいですね。どこに行ってもライダーズハウスやキャンプ場があって宿とかに困らなかったし、バイトしながらずっと住んでいるみたいな人もいましたしね。駅宿も普通にやってましたし。数年前に北海道に行ってみたら、地方はどこも寂れていて、悲しくなりましたね。オンネトーキャンプ場なんて鬱蒼としていて結構やばかったです。
では、また。
お陰さまで懐かしい思い出が蘇りました。1985年(昭和60年)洞爺湖畔でのノースランドラリーに私も参加しました。26歳でした。ステージは無くて、キャンプファイヤーの前で一芸を披露したら東京までのフェリー券を貰えるという話だったと記憶します。しんちゃんのモノマネ…はっきり覚えています。メガネをかけた若者でした。あれは大顰蹙でしたね。日本酒の一升瓶をラッパ飲みで一気に飲んでチケットを貰った若者もいました。彼はその後当然酔っ払って「俺は所詮原チャリライダーなんだよ!」と叫んでいました。他には「風間さんはこの会場へ実はランドクルーザーで東京から来てるんだぜ!俺はフェリーが一緒で目撃したよ」と暴露してフェリー券を狙った青年もいました。会場は大ウケでしたが、風間さんは否定せずに苦笑いしていましたね。次の日は集まった数百台のバイクで近くの峠まで行って記念写真を撮影したのですが、皆さん飛ばすのでついて行くのが怖かったです。私はYAMAHAのXJ400のアメリカンでしたので。風間さんと2ショット記念写真を撮らせてもらって「こんな真面目そうな人もノースランドラリーに来るんだね!」なんて言われた事も思い出しました。その後は、私は11月の半ばまで北海道を彷徨って風雪に尻尾を巻いて愛知県へ逃げ帰りました。寒かったですね。青春時代の良い思い出を思い出させて頂き有難う御座います。
ハヤシさん
コメントありがとうございます。あまりお力になれず、すいません。
今年はコロナでどこにも行かなかったので、来年、もし落ち着いていたら北海道にもいってみようかなと思っています。
本日F800のブレーキフルードを交換して、貴殿の事を思い出し、ブログを拝見しておりました。ノースランドラリーの事知りませんでしたが何だかすごく楽しそうな時間をバイクを介して過ごされたのですね。
私も子育てがあと少しでなんとか終わりそうなので、
機会があれば北海道や他の林道にも行ってみたいと今更ながら重いF800を手に入れました。
これからも少しずつブログを読ませて頂きますどうぞ宜しくお願い致します。
ハヤシ
http://www.effect-com.co.jp/index.html