1998夏のツーリング
東北編
とにかく、ことしは天気が悪かった、大雨洪水警報が2日連続で出た。まいった。
1998年8月2日
直江津港からの北海道(室欄)行きのフェリーに乗り込む。
港につくまでにも、わりと激しく降った。上越でうどんを食べた。
1998年8月3日
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16:00に室蘭に到着。洞爺湖に向かう。キャンプして花火を見るためだ。
ニャンコとここで別れる。写真は洞爺湖「滝上キャンプ場」、400円。 |
1998年8月4日
ニャンコさんは、北海道ツーリングへ。私は東北へ向かうため函館へ向かう。
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函館−大間連絡フェリー(¥2450)に乗り込み、大間崎へ到着。到着は16:30ころ。寂しいところである。雰囲気は宗谷岬に似ている。
そこで、始めて自分以外のDR350のツーリングライダーを見た。話はしなかったが、少し意識してしまった。岬の近くに野営場があったが、草ぼうぼうで寂しそうなので、パスした。 |
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佐井村の願掛キャンプ場(¥500)にした。老夫婦が1組すでに張っていたが、それ以外のキャンパーは無く寂しい。今日は雨に降られなかったが曇っていた。ロケーションはいいところだ。サカリなのか?夜中じゅうネコがうるさかった。 |
1998年8月5日
きょうも曇りである。昨晩は蒸し暑かった。
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R338を南下し、仏が浦にいった。30分かけて浜におりた。
人気が無くさびしい。写真のような奇岩がたちならぶ奇妙な場所。面白いところだ。
R338の海峡ラインは人気が無く、何となく宗谷の雰囲気ににて良い感じがする。道はとても良い。脇野沢に出るまでライダーには一度もあわなかった。 |
脇野沢村には、北限の猿というのがいらっしゃるが、下北半島の大間の近くにも道ばたに猿がいっぱいいた。超北限の猿か?
その後、恐れ山に向かう。怪しい雰囲気は無く、単なる硫黄山であった。御参りをした。 |
奥薬研(やげん)温泉の無量露天風呂に入る。男女別れており、きれいであった。川沿いにあり、お勧めである。 |
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時間があまったのでむつ市をぬけ、R279はまなすラインで、横浜町の「はまなす公園キャンプ場」に向かう。ここは無料であった。管理人のおじさんはいるが、凄く寂しいところである。ライダーはもう一人いて、たった二人のキャンプ場であった。とにかくさびしかった。住み着いているネコがいて唯一の話し相手であった。うううう。 |
1998年8月6日
朝は曇っていた。雨は今にも降りそうである。青森で、ねぶたの雰囲気を見聞きし竜飛崎へ向かう。
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竜飛崎から、雨が降ってきた。竜飛崎は風力発電も行われていて、凄く風のあるところだ。R280〜R339は道は狭いが情緒あるラインだった。気に入った!
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その日は、深浦の黄金岬の不老不死温泉に行くつもりだった。雨が激しかったことと、地図を2ページ飛ばして見ていて距離を間違え五所川原市で暗くなってきた。竜飛岬から、ずっと激しい雨が降り続き、心身とも疲れていたので、森田村の「つるが地球村」キャンプ場に向かった。名前からしてやな予感はしたが、案の定オートキャンプ場であった。ひと張り¥945なり。きめられたエリアにテントを張るしか無い。くううう。
飯をくっていたら、雨がさらに激しくなってきた。気がついたら、テントの外の食器が浮いていると思ったら、すでにテントのなかはWaterベッド(しかもかなり高級の)であった。ぼくはグランドシートを持たない主義なのですぐに浸水した。床上浸水100mmである。これはかなりの被害である。これは移動するしか無いと思いカッパを着て外にとにだした。しかしキャンプ場は巨大な溜め池となっていた。
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「こんなとこにキャンプ場つくんなよー」とさけびつつ、激しい雨のなかとりあえず炊事場の屋根の下に、荷物とテントともども逃げこんだ。
写真は、逃げ込んだ直後のものである。
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その時の様子を、僕の日記にはこう書いてある「案の定浸水してきてびしょしょでおだぶつになった。とりあえず炊事場に避難するもシュラフをだす前で本当に良かった。ここで一夜を明かそう。明日はちかばで宿を見つけて泊まろう。明日も雨みたいだ。テントはびっしょりで使い物にならない。今夜はベンチで寝よう。バケツのひっくり返しとはこのことだ。紀伊半島でも九州でも経験したことの無いほどの天気だ。かなしい。」
夜中の2時頃、目がさめた顔の半分がおかしい。何か変だ。トイレに行き鏡を見る。「ひえー」ぼくは、鏡に移った自分の顔に気を失いかけた。お岩さんのように、顔の左半分がはれていた。口もろくに動かせない。右を向いてシュラフにくるまっていたので左半分をむし達に好きなようにされたようだ。顔が浮腫んでいて痛かったが、それ以上に眠かった。ムヒを何度か塗りたくって寝た。朝明るくなるまで何度か目がさめその度にムヒをつけた。
1998年8月7日
朝、東の方は明るい。今日は晴れるかなと淡い期待をもちすぐに出発した。こんなところには長居は無用だ。きのう行き損ねた不老不死温泉へ向かうも、深浦の手前で再び激しい雨に見舞われる。少し走ったが状況はさらに悪化しそうな雰囲気を呈し始めた。前方は真っ黒だった。「不老不死温泉も白神山地の林道走行ももう諦めよう。こんな天候で林道を走ったら死ぬかも知れん」そう心で思った僕は、来た道を引き返し弘前市へむかう。なぜか弘前のあたりだけ晴れ間がありいそいでテントなどぬれたものを干した。
弘前でねぷた祭りにでくわした。可愛い音にこころが濯われる。しばらくみていた。
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弘前からR102〜R394で、八甲田山のふもとに酸ヶ湯温泉「千人風呂」へ向かう。山の途中で降り出してきた。写真は酸ヶ湯温泉「千人風呂」の駐車場である。御存じのように巨大な風呂で混浴である。 |
ばあさんしか入っていないだろうと思っていたら、若いお姉ちゃんがたくさん入っていて、良かった。出てきた娘は可愛い子が多かった。もちろんおばばもおばさんも多い。お湯自体はとてもいい。凄く疲れのとれる温泉だった。黄色っぽい乳白色。
隣のそばやの「酸ヶ湯そば」はうまい。
あめがまた、激しくなってきた。その後、少しねむくなりつつ、激しい雨のなか、寒さと戦いつっつR102〜R103で十和田湖に入って宿をさがすつもりが、いつ頃から眠っていたんだろうか、気付いたら十和田市の手前にいた。「あれ、おかしいな」20キロ近く居眠りしちゃった。もどらなきゃ。
戻り初めて、数キロ。十和田湖町の外れ。売店の前でバイクをとめて降りたら、バイクが勝手に倒れた。「グシャ。あれ、スタンドだし忘れたっヶ」おこしてみると、スタンドが根元から折れていた。事件発生!
すぐに、鉄工所を求めてさまよう。運良く十和田湖町に山崎モータースの横に鉄工所があるとの情報を得てそこに走り、すぐにお願いした。30分程かかって溶接をしてもらった。おっちゃん有りがとう!。\1000、高いのかやすいのか僕には分からん。個人的には安いと感じた。
十和田湖へ向かう途中、R102沿いに生入瀬渓流があるが、激しい雨と寒さで見る余裕は無い。とりあえず、民宿がありそうな方へ向かおう。すると、なぜか宇樽部キャンプ場のところで曇りになった。ぼくは「やっぱりキャンプにしよう」と考え直し、そこに向かった。管理人の人曰く、「バンガロー空いてますよ。今晩も降るみたいですよ」と。迷わずバンガローにした。¥1500だった。案の定、よるも激しい雨だった。昨日の二の舞いはごめんだ。こりた。
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バンガローのなかは御座があったのでバイクのナンバープレートをはずしその上でストーブを炊いた。写真はローソクをともしているところ。
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熟睡できた。ここまでのツーリングでバイクには数台しかあっていない。天候のせいもあるんだろうけど、それにしても寂しいな、青森は。。。。。
寒いし。。。。今日も国道の温度計は15度ぐらいだった。新聞によると、低温注意報、大雨洪水警報は未だ解除されておらず。。。。。。かなしい。
宇樽部キャンプ場は、生キャンプは500円と安めだが、整備されていてしっかり管理されている。やはり町営だから?
キャンプ場はとにかくすいている。
1998年8月8日
熟睡した。今日は曇りだが、降ってきそうな感じは変わらず。目覚めは9時だった。
昨日見向きもしなかった生入瀬渓流に降り立つ、女の子が多い。少し嬉しい。
乙女の像は、乙女が2人向き合っている像であるが、僕にはお婆の像にしか見えん。しかもお互いに相手の乳に触ろうとしている。とにかくファミリーが多く疲れる。
昨日の事もあったので、十和田湖神社で交通安全のお守りをかう。
今日は特に寒い。さっき国道で14度の表示を見た。田沢湖に向かう。R103〜R341で八幡平の入り口経由で田沢湖に向かう。八幡平は寒さで見向きもできなかった。おまけにチェーンの調子が悪い。ブレーキの効きもわるい。(特にリア)。R341はガススタンドが無い。八幡平駅を過ぎると田沢湖町までの約80キロほど無かった。
乳頭温泉のふもとに水沢温泉に入る。ここはとてもよかった。あたたまった。¥420。ほどいい湯かげんで、青みがかった乳白色。
乳頭温泉キャンプ場に向かう。オートキャンプ場のようであったのでパスした。町営田沢湖キャンプ場に向かう。町営なのでリーズナブルであろうと思ったら、¥1200もする!。
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仕方なく辰子像の近くの「潟前山森林公園キャンプ場」に向かう。まだ夕方なのに管理棟はあるが人の気配なし。公園のようなところのベンチのそばにテントを張る。ただであった。高台にあり、トイレもあるし電話もある。お勧めである。田沢湖がきれいだ。
田沢湖の辰子像はういていた。 |
今日のキャンプもライダーがいない。 今日は10台ぐらいは出会ったかな。
1998年8月9日
晴れていた。はれていたので、昨日素通りした八幡平へ逆戻りする。
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友人がいいというアスピーテライン(盾状火山)をとおった。八幡平の頂上では1時間程遊歩を楽しんだ。岩手山どころか周りの山は全て曇っていて見えない。おまけに寒い。 |
アスピーテラインを降りR282に入ったところで「道の駅にしね」に入る。ここの「ほうれんそうアイス」はうまい。ほうれんそうの粒が入っているようだ。
小岩井農場に向かう。が、余りの渋滞で素通りしたの。
盛岡で冷麺なるものを食する。(冷たいパスタの透明なもの、ラーメンのようにちじれていない。みそラーメンの冷たいものにつけてあり、なぜか、すいかとゆで卵がハイっている)こりこりしてうまかった。
ひたすら4号線を南下し、花巻市で「宮沢賢治記念館」にはいる。その後、なぜか大平洋が見たくなり、地図を見ていたら気仙沼があったので、何かうまいもの食えるかなと思いつつ、水沢市からR343〜で陸前高田市にはいる。道の駅「貴田松原」はヤンキーでうるさい。そこで夕方になりつつあったので碁石キャンプ場にむかう。キャンプ場の手前で「ホタテ直売所」を発見。今夜はホタテだ!
直径15cmもあろうか、1枚\200で、2枚購入。ストーブの上で焼いてくった。うめー!
キャンプ場は¥800。バイクが2台いた。夫婦だった。夜、お話した。千葉から来ていていつも二人で行くという。観光というより、地図に乗っている珍味を食しながら走る方が多いようである。明日は気仙沼のふかひれ寿司だそうだ。わしのガイドブックによると、アサヒ寿司は月曜定休、かなりがっくしきていた。旦那はサッカーの中田ふう、奥さんは超美人だ。
ひさしぶりに人と話した。それにしてもきょうは良く走った。380Kmぐらいかな。
1998年8月10日
晴れていた。気仙沼の魚市場へ向かう。「海の市」で土産を送る。
平泉に行きたくなった。気仙沼から平泉へR284で戻ることにした。
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中尊寺と毛つう時は、行く必要がある。
中尊寺の金色堂は、一見の価値がある。すばらしいの一言に尽きる、ずっと見ていた。 |
途中、チェーンオイルを購入。チェーンがまっかである。
しばらく当ても無く、R4を南下していたが、古川市で山形の「山寺」行きたくなった。R347で尾花沢市へ向かう。
明日はもう帰る日なのでできるだけ南下しておこうと思い、山形をめざしたが、寒い!。
地図に載っている尾花沢市の尾花沢牛ステーキ「ステーキハウス徳良湖」の文字が目に焼き付いて離れず山形の手前まで来たところで30kmぐらいひきかえし、徳良湖キャンプ場に戻った。「今日はステーキだ」とはしゃいで、もう夕方であった。
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テント設営後、銀山温泉に向かい、公衆浴場に入った。\100。熱い!九州の開聞岳温泉に匹敵する熱さだ。ごうおごううめて入った。出た時には暗くなっていた。
銀山温泉は、すごく情緒があり、ぜひ、今度は泊まりに来たいと感じた。 |
ステーキハウスへ向かう。あった。しかし。。。。すでに準備中の札が。。。。「がーん、おんせんでゆっくりし過ぎたんやん」あまりのショックに頭をくらくらさせながら、尾花沢の飯やをさがしてさまよった。きっとぼうっとしていたのだろう。気がついたら、目の前に軽トラの側面があった。右折に気付かなかったようだ。こけて、腕をしこたまうった。しかしバイクはハンドルがまがったくらいで無傷だった。さらにくらくらしながら、目の前のラーメンやに入るも、まずかったなぁ。帰りにビールとつまみをかってテントで飲んだろうそくをともし夜、しうこしこ飲んでいるととても寂しかった。
ああああ。
今夜のキャンプ場、¥200 整備されていて良いところだ。バイクは4台いた。
1998年8月11日
ツーリング最終日である。はれだ。朝6時出発。
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山寺へ向かう。松尾芭蕉のお寺である。杖をかい、奥の院までのぼった。杖は必要無かったが、記念にもって帰る。おりてきて山寺こんにゃくをくう。しょっぱい。 |
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そのままカエルと思ったが天気が良いので、蔵王に行きたくなった。お釜が見えるかも。やはり見えた。よかった。前に来た時は霧で見えなかった。
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もう昼だ。東北自動車道に入るため、仙台へ向かう。その途中ステーキハウスを発見。昨日食い損ねた、ステーキを食う。
うまかった。
白石ICから東北道に入り、盤越道で新潟へ、北陸道で上越ICへはしった。
上越ICを降りたのは9時頃だった。¥5800をはらう。
そこから自宅まで高速¥2800を払い、自宅着は、夜の11:30であった。
今日は良く走った。580kMぐらいだ。ばいくもおかしくなってきた。
今回は、日本海側を全然回らなかった。林道も走らずにおわった。
次回に期待しよう。
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