2003秋のツーリング

東北・秋田青森〜龍飛岬 編


 新潟から秋田へフェリーで向かい、龍飛岬でタコ(凧)になるのが今回の最大の目的。

今回の走行距離数 1500km、ダート無し。燃費は26km/Lで、200Kmでリザーブになる。
今回の日程 4泊5日(それでも最後の二日間は強行スケジュール)
天気 秋晴れ二日で後は雨、夜降られなかったのが救い。
今回の費用 おみやげ含めて40000円程度、そのうち高速代に1万円。お土産に1.5万円ぐらい。

結論

龍飛崎は日本で一番年間を通して風の強いところだが、9月は特に風の少ない月らしい事を龍飛崎の青函トンネル記念館で知った。

しかしそれでも平均風速8m/sのはず。しかしわしの行った日はほとんど風がなくタコになる事はできず足はしっかり地面についていたのであった。タコになるために来年か近い将来にリベンジする事を誓う。

今回のスタイル

 いつものサイドバックにメインバッグをシートにくくりつけ自分は何も持たずに走る。今回は林道を走らないか走っても少し、目的は龍飛観光である。

サイドバッグ:ラフロード製、古い。このバッグはゴムひも無しで積載できるので便利だ。
ザック:もたない。
テント:今回は荷物を減らすため独り用をチョイス。
今回はロウソクのみ用意した。銀マットは持たず

反省

忘れ物があった、反省。
12/14メガネレンチ(パンク修理不可)
フライパンの蓋(餃子が蒸せない)
コーヒー

2003年9月15日

17:30自宅を出発。高速道路を使い新潟までひたすら走る。ギア比をレーサーと同じ(減速比がかなり高い)にしてから最初の高速ツーリンである事を思い出した。最高速度はたぶん(アナログメータは90Km/h以上で挙動不審のため)120Km/hぐらい。そのぐらいの速度で回転が頭打ちになる、たぶんCDIのレブリミッタが働いているのであろう。減速比を高く設定する時はCDIをレーサにする必要がありそうだ。DR350USでは同じ減速比でも140Km/h以上出ていたのできっとCDIのせいだろう、圧縮比とカムの違いはリミッタには影響しないはずだから。90Km/h平均で途中食事と何回か休憩して22:40に新潟港についた。船は23:50出航であるのでいい時間である。

今回はシールチェーンで武装しているためチェーン切れの心配はないが何度もチェックしつつ大丈夫そうだ。

秋田行きフェリーは舞鶴〜新潟〜秋田〜苫小牧の各駅停車である。バイク+2等で4700円である。空腹であったが食堂はしまっておりさらにコンビニでカップ麺を買ってくる事もしなかった、おまけに寒い。フェリーの中はエアコンでさらに寒い。そのへんのことが翌朝の体調に結びついたのだろうか?

新潟からはバイク5台。乗り込むと舞鶴からのバイク組があいてあわせて10台ぐらいだろうか。

だが秋田に降りたのは3台だけだった。

乗り込む船。

2等船室で秋田でおりる人は別室である。がらすきである。しかし船室は寒いな〜。おまけに腹減るし、ちょっと揺れてるな、ちょっと気分が悪くなってきた。

2003年9月16日

朝5時に放送がかかり、起床であるが、その前から起きていた。というかほとんど寝れなかった。船酔いで気持ち悪く何度も目がさめ、おまけに寒く毛布を2枚掛けて眠ったがそれでも寒かった。

予定通り6時に着港し、人が動き始めてから船酔いと腹冷えで数度トイレに走った。車両カンバンからオエッとなりそうになりながら荷物を積みバイクで秋田の地へ降り立ち、即座にフェリーターミナルに駆け込んだ。オエッー!

船酔いでげろったのは物心ついてから初めてである。腹冷えはついに水しか出なくなった。上下から水だけ出るようになってようやく気分が晴れてきたので、6時半ぐらいに出発した。途中みちの駅で30分程仮眠もした。体の中にはもう何も入っていない。きれいさっぱりであるがまだむかつく。

日本海岸線を北上し、9時に入道岬に到着した。

朝早くにここに到着して土産物屋があく前に退散する予定であったが、ついた時にはすでに稼動していた。入道崎自体はいいところである。しばらく休憩していたいが龍飛崎はまだ遠い。

散歩していたらオババに岩海苔を売り付けられた。

これがちとうるさい土産物やである。まん中の灯台荘で稲庭うどんを食した。ここで働いている(お手伝い)お姉ちゃんは他のおばはんたちと違い、かなりイケててかわいい。おばはんと話から総合すると、おばはんの娘で埼玉の大学を出てこちらで働いているようである。なんとかお友達になりたかったが、わしにはそんな暇はない。

日本海沿いにさらにR101で北上し、道の駅「八森」12:30で昼飯にした。牛丼を食べたがいまいちだった。道ばたで昼寝をし、13:45に出発。たぶん、龍飛岬のキャンプ場までつけそうにない。

十三湖の中ノ島キャンプ場に16:00に到着した。きょうはここでとまる事にする。

誰もいないキャンプ場である。管理棟は月曜日休みであり今日は偶然月曜日。今日はひっそりした誰もいないキャンプ場で夜を過ごす。聞こえるのは鳥の泣き声だけ。

夜、ビールを呑み終えた後のいつもの仕事は、ビール缶をナイフで切り裂きランタンにするのである。ひとりぼっちの時はこれが楽しい、というかこれしかやる事がない。できたらそれを眺めて眠くなると寝るのだ。今日はロウソクがまだ新品なので500cc缶には収まり切らない、上部まで差し込み開いた状態でロウで固定した。意外と明るいでしょう。

今日の晩飯は、御飯とレトルトカレー、味噌汁、入道岬の岩海苔である。飯は自分で炊くが、食事は別に何でもいい、地元の食産物を食べたりする事はめったにない。あそこにいってなんでそれ食べないの?とか良くいわれる。あんまりそんな事考えない。ぼくにとって食事は特別じゃない。

2003年9月17日

朝、管理人がくる前に出発しなきゃとおもいつつ・・・。朝4時にからすの声で目覚め、その後朝飯(コーヒーとパン)を食べて6:30に出発。キャンプ代金は無料になった。十三湖を一周して8:15に龍飛岬に到着した。

以前きた時は風が強く天候悪く長居できなかったが、友人のN尾氏曰く、「時間つぶせない場所だよ」。その言葉の通り、ちっちゃい駐車スペースに土産物屋台が3軒あり、灯台はあるが場所が少なく此れといった撮影場所もない。さらに海を見下ろす場所もないからだろう。

十三湖から遠く岩木山を望む。いい所である。このあたりの地形や風景は北海道のサロベツ原野にかぶる。きたのさいはてはどこも同じなのだろうか?

日本海から竜飛岬へ向かうと岬の手前で鳥瞰台という展望所がある、ここも寂しいところでこれといった時間つぶしもない。半島の先の遠くに東北電力の風車とその先に灯台が見える。

津軽海峡の向こう岸には北海道の大地が見える。

龍飛崎灯台。

この場所ではDDIポケットPHSは圏外だ。

灯台から、駐車場と土産屋の屋台を見る。

一番左の土産物屋で土産物を買った。ここはタコが有名らしい。焼き足ダコはなかなかうまい。

タコの足3本、干しホタテ、のしイカ、龍飛崎タオル、龍飛崎ライター、龍飛崎ステッカー、をお買い上げ。

おばはん、りんご1個とおでんのコンニャクくれた。さんざん試食させてくれてかなり空腹感をみたせた。

さんざん時間つぶしてから9:30出発(それでも1時間)。つぎはお決まりの、

階段国道の入り口で写真。

階段国道とはR339の龍飛崎の漁港へおりるところが全国唯一の階段になっているのだ。車両は通れないが立派に国道なのだ。

ここが本当の龍飛崎である。龍飛の漁港をどん詰まりまでいくとここに出る。後方に見える東屋の下には太宰治の碑が建っている。ここ龍飛をさいはての地「諸君の人生のどん詰まり」としるしている。

しかしながら、ここも特に時間をつぶすところもない。

それから近くにある青函トンネル記念館(\300)にはいって時間つぶした。青函トンネルの完成までを資料にしてあるが始めてみたが、恐ろしい工事だ。あんな事良くやるなぁ。ちまちました回路を作っているぼくには想像もできない。

龍飛崎の本州側の青函トンネルに入る駅「今別」である。ここにとまる列車は特急2本のみである。時刻表を見ると昼前に小樽に向かい、夕方に戻って来れそうである。運賃だけで往復\5000、特急料金入れると1万弱ですな。だが一度はのりたい。60キロもの海底トンネルだぜ。

今別のみちの駅で昼食「ショウガ焼き定食」をたべる。ショウガ焼きが固くていまひとつであった。地図で作戦練っていると十和田湖にいけそうである。十和田湖へ向かい、途中、酸ヶ湯温泉に入る。ここは混浴だが大浴場で人気の温泉である。女性もわりとたくさんはいっている。今回も入ったが、値上がりしていた上に内部は仕切り方がかわっていた。これも時代の流れだろうか?

十和田湖についたら、地図上できめていたキャンプ場に行くつもりだったのだが、途中に以前キャンプした事のある宇樽部キャンプ場の看板がありそこに入ってしまった。さすが十和田湖、十組程度いた。バイクも数台。

宇樽部キャンプ場、湖のすぐほとりにテントを設営した。右隣にはカヌーを持った家族、車はベンツ、テントとタープ、ううう。おじさまは、白髪でかっこいい。
今回は観音開きにして工夫してみたら意外に明るい。

本日の晩飯は、ごはんに塩と味噌汁である。若い時は塩だけで御飯食べてうまかったが歳とるとうまく感じないのはなぜだろう。それとも塩が古いのかな?(もう8年ぐらい使っている)。

2003年9月18日

今日は曇りである。今日は田沢湖と未だいった事のない小岩井農場(宮沢賢治が何度も足を運んだという事で情緒ある場所を想像していた)に行く事にする。

十和田湖にのぼる朝日である。最初はもっと神秘的だったのだが見とれている内にここまでのぼってしまった。

田沢湖に行く予定だったが、いかずに小岩井農場を目指す(農場といえば焼肉?と考えた)。農場についたのは昼前であった。

小岩井農場と言えば、宮沢賢治である。宮沢賢治は岩手県のことをイーハトーブとよびここ小岩井農場を何度も登場させている。たとえば「狼森と笊森、盗森」では、「小岩井農場の北に黒い松の森が4つあります。・・・」と始まっている。賢治の物語を読めば必然的にイーハトーブと小岩井農場はテーマである。農場自体は巨大な農場で北海道を思わせるが・・・

まきば園というところに土産物設備があるのだが、内部は巨大なレジャー施設、遊技はないが修学旅行性も多数いて、食堂は全て予約で一杯、肉を食べる場所もなかった。

土産ものをたくさん買って、家に発送してきた。たぶんここに二度とくる事はないだろう。入場料はとるし、施設の従業員はみんな態度悪いし、高いし、いいことない。小岩井ファームを出ると雨が降り出していた。カッパを急いで着込み14:00ごろ出発した。R49〜県道1号〜R107〜県道320号〜県道40号〜R342〜県道323号〜R398を走りついで皆瀬村までやってきた。途中かなり激しく降られたが、大分止んできていた。以前とまった無料の真人公園でも良かったがまたヤンキーに悩ませられることも考えると憂鬱なので新しい場所を開拓する事にした。地図上ではみちのすぐそばであるが、かなりの山奥である。数キロ離れた商店のおばさんは「熊はこないから安心していいよ」といっていたがそう言う問題でなくかなり寂しい場所だ。この日は老夫婦がひと組いた。管理人はいないらしく今回もただか?

木地山キャンプ場についたのはもう真っ暗になっていた。写真は翌朝の出発前である。

本日の晩飯は、近くの商店の品揃えに左右されてしまうが、ボンカレーと味噌汁である。ビールも500だけである。今回もランタンを作る。できはかなりいい(写真)。

2003年9月19日

夜は降られなかった、星も出ていた。なのに朝起きたらどんより、出発の6時半には雨が降ってきた。朝風呂に入って出発するころになっても管理人はこなかった。やった、無料だ。今日は老夫婦が言っていた湯の滝なるところに行き、稲庭うどんを食べて木賊温泉へ行く。かなり長い行程だ。

キャンプ場内にある露天風呂である。早朝はいってきた。あついのがどんどん湧いているので自分で調節できる。ちなみに青く見えるのは浴槽の色で温泉は透明である。

川原毛地獄は行ってみると、どうやら日本3大霊山の一つで恐山につぐ場所だと書いてある(写真)。まぁ、ただの硫黄の山である。その河原ぞいは硫黄泉が沸き出しており川に流れ込んでいて温泉となっていて少し下流の滝つぼが沢の水と混じりあっていい湯加減なんだそうな。

雨降る中、駐車場から15分歩いて滝つぼに到着、当然誰もおらず、脱衣所はあるが河原で素っ裸になり入る。が!しかしかなりヌルイ!雨も降っており、さむいぜ。写真で入っているのは私だ。

作業のおじさんに後で聞いたら、雨で沢水が増水しヌルイらしい。やはり露天風呂は天気いい日に限る。

県道51号に出ると、三途川渓谷と言うのがある。そこには三途の川にかかる橋がある。「さんづかわばし」とかいてある。一度渡ってもどってきた。県道にかかる橋だからここを使う人はいつも死にそうと言う事だ。

再びR398にでて稲川町(まち、ちょうでない)の稲庭地区へ向かう。ここも変化しつつある。今昔館で土産のうどんをどっさり買い、荷物に括りつけた。うどんを食べようとしたが、11時だというのにどこも準備中で食べられなかった。

しかたがないのでR13に入り山形へ向かう。レイドカムロの金山町をぬけ尾花沢についたのは13:00ごろだった。そういえばここは以前、徳良湖のステーキハウス(写真)で食べ損ねた経験のある場所だ。思い出してリベンジ、ステーキランチで尾花沢牛をたべる。

尾花沢からR347〜寒河江からR287でひたすら南下、米沢へ向かう。米沢からR121で大峠トンネルを抜けると福島である。喜多方についたのは暗くなってからだ。そこから木賊(会津田島)まではまだ3時間程度だ。雨も降っているし。目的地を猪苗代湖に変え、そこでキャンプする。キャンプ場につく前にコンビニで弁当を買い路肩で侘びしい食事をとりキャンプ場に行ってすぐ寝た。

2003年9月20日

キャンプ場は以前泊まった、RVモビレージで\1000、全日夜でかなり寒かったから前の経験で同じところにした。キャンプは全部で数組であった。今日は土曜日である。今日はもう自宅までカエル。

ここのキャンプ場は朝6:30にならないとトビラがあかず外に出られない。起きてから時間があったので飯を炊いた。岩海苔が塩味ついていたので一緒に炊けばうまいかと思ったが、実際やってみると海苔がふやけてしまい最悪であった。朝7:00出発。途中コンビニで朝飯、会津を抜けて只見についたのは昼だった。今日も雨、降ったり止んだりで寒い。気温は朝から昼になっても16度までしかあがらない。

R252をひたすら走り田子倉ダム(写真)を抜け、入広瀬。途中からR117で上信越道の中野についたのは16:00だったよ。雨は大分激しくなっていて、かなりさむい。高速道路はずっと雨で一度も休憩する事なく自宅まで帰った。松本近辺から雨は激しさをまし参った。

自宅についたのは19:00だった。

今回は目的は達したが、今度行く時は、行きも帰りもフェリーにしよう。

教訓)



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